【作曲理論と音楽理論】
「音楽の中核」をなすものはなにか?
それは「ひらめきによって生まれたもの」である。
作曲理論や音楽理論とはあくまで音楽を「整えるもの」であり、ひらめきによって生み出されたメロディやリズム、音の流れに、一定の規則性をもたせる役割を担っている。
ある程度の規則性や、程よいリフレイン(繰り返し)があるから演奏や歌を共有でき、親しみやすくさせているし、音楽としての成り立ちがあるからこそ、「音楽」と「雑音」の区別がつく。
いわば音楽理論とは、感性によって生み出された「音の素材」を、より「音楽的」に調和のとれた形にするための「音楽の設計図」みたいなものなのである。
「音の重ね方のルール」や「楽器特性」「転調の仕方」など。
作曲理論とは、曲を組み上げるための手順であり、作曲者によってやり方が異なる。
まぁ簡単にいうと、「伴奏をどう作るか?」や「メロディの断片をどうやってフレーズに発展させるか」とか、「ギターとピアノ、どちらでコード進行を確かめるか」とか「アレンジはリズムとベース、どっちから先に作るか」など。
そして、ここも結構重要なのだが、素材と設計図だけではもちろん建物は立たないように、「素材を組み上げる者」が必要なわけだ。
それは一言でいうと「演奏者の感性」。
「設計図や素材が良くても、いい家は建たない。」
腕を磨くにはやはり〝経験〟しかなくて、「試行錯誤の繰り返しでしか、芸術は磨かれない」のである。
- 素材:ひらめき
- 大工:DTM、楽器、演奏者の感性
- 設計図:音楽理論、作曲理論、作曲コンセプト
『理論は不要か?』
よく「理論なんていらない!曲がつまんなくなる」とかいう人がいるけど、そんなことは全くない。
長い音楽の歴史のなかで、実に様々な様式や技術、方法論が開発され、人それぞれの感受性によって、いわば建材となる音の素材は、それこそ星の数ほどあるのだろう。
それらの組み合わせは、ある程度似通ったりもするときもあるが、大抵は千差万別で、そこに個性が出てくるのだ。
要は作曲者の感性の問題であって、理論があろうがなかろうが音楽の素養がある人は良い曲を作れるし、その逆もまたしかり。
そのうえで、「さらに良くするにはどうしたらいいか?」それが理論ということなのである。
【まとめ】
「理論だけではいい音楽は作れないし、かといって、感性だけでも音楽は形になりにくい。」
いろんな作曲方法があって、感性も、内面に持っているものもひとそれぞれ違うのだから、独自の理論で無理して個性を出さなくても、「自分」というフィルターを通して生み出された音楽であるのであれば、自然に「その人の感性=個性」が出てくるものなのである。
奇抜、斬新、革新的、これらを否定するわけではないが、基礎、基本、土台づくりを疎かにしていないか、もう一度見直してみてはどうだろうか。
「理論は感性の助けになる」。理論によって音楽が磨かれることはあっても、音楽が死ぬことはない。
「感性」で作り、足りないところ、不格好なところは「理論」で整える。
「中心とは何か」をしっかりとらえていれば、間違えることはない。…はず。
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